志賀直哉の人間形成において大きな影響を及ぼしたのは彼を育て、ともに生活した家族である。志賀の場合は父母よりも祖父母との関係がもっと深かった。祖父からの感化は、志賀の精神世界に感覚的判断の自信感をもたせるようになり、自我貫徹の強い自己肯定の核を作りあげた。
志賀の作品を調べてみると、彼の心性は表面的には父との不和を軸として展開される。志賀は父との不和を題材として三つの中篇小説 「大津順吉」、「和解」、「或る男、其姉の死」を書いた。志賀は家の女中、千代との結婚を決意し、父との不和はその頂点に達する。しかし、これを題材として作品をも書くという、いわゆる事実の再体験の段階で志賀が発見したのは父子の間の愛情、血縁の愛情であった。この父子の間は表に現われた現実的問題では対立的関係であったが、内面的には対立的存在ではなく、同志的存在、肉親の存在として認識されていた。そうして実際に真情の和解が成されたのである。
志賀は母との関係において、二つの大きなことを経験しながら成長する。一つは3歳から祖父母と密着された生活による母との疎遠さであり、もう一つは13歳に迫まってきた母の死である。これはいろいろな形態に変形され、彼の作品の中に複合的に混在されて表われる。志賀は内面的に母の愛を渇求していて、その不足する母性の空間(母喪失)をつめようとした。しかしその傷痕に直接的に触わるのを抑制し、作品の中の深いところにそれを潜在させ、母銀の姿ではなく、変形された形態の女性を登場させる。
志賀の成長をうかがってみると父母の代わりに祖父母が父母の役割を引き受ける。これが表面的には志賀と祖父母との関係を密接に作られるが、志賀と父母との関係においては現実的に、また内面的にいろにろな問題を発生させる。志賀において家族についての認識は溢れる愛と欠ける愛という大きな枠で集約できる。祖父と祖母との愛がその前者であり、父と母との愛が後者である。成長期における愛の欠乏とか不足とかいうものは後日大人になって大きな問題を惹き起こせる。しかし志賀は強い自我の持ち主として自分のこのような現実的な問題を直視し、父と母に対する内面的欲求を作品の中に表出させることによって精神的な葛藤と苦痛を治癒し、克服していったのである。